
"当たり前の日常 偶然の産物"
今日は昨日と同じようにあり、
明日も今日までと同じように過ぎていく。
いや、 以前よりも現在、 現在よりも将来に、
もっと反映して もっと快適な生活がある
はずだ。
もっと反映して もっと快適な生活がある
はずだ。
私たちはいつもばくぜんと、
だが固くそう信じている。 しかし、
それが根拠のない思い込みに過ぎない
だが固くそう信じている。 しかし、
それが根拠のない思い込みに過ぎない
ことを、時折り突きつけられては
呆然と立ちすくむ。
普段の風景が異様な相貌で迫る。
呆然と立ちすくむ。
普段の風景が異様な相貌で迫る。
目に見えない死がそこにあるからだ。
今、人影が消えた武漢や ミラノやニューヨーク
今、人影が消えた武漢や ミラノやニューヨーク
の街並の映像を見て、同様の衝撃を受ける。
心底からの震えは、
私たちが当たり前と思っていた現実が、
まったく違っていたと気づくから、いや、
なお気づきたくないと怯えるからであろう。
私たちが当たり前と思っていた現実が、
まったく違っていたと気づくから、いや、
なお気づきたくないと怯えるからであろう。
目に見えないものは恐ろしい。
さらに恐いのは、 私たちの心深くにある
見えない闇である。
見えない闇である。
私たちはこの世界が分かった気になっている。
だが、本当はこれが何なのか、生きるとはどういう
ことか、私たちはまったく知らない。
だが、本当はこれが何なのか、生きるとはどういう
ことか、私たちはまったく知らない。
当然 享受すべき日常生活が理不尽に
奪われたのではない。当然だと思っていた
自然さこそ、途方もなく大きな要素が組み
合わされ、万事がうまく動いていた偶然の
産物、奇跡なのだ。
その基盤が、どれほど脆いものであったことか。
だが、目の前にある見えない危機は、私たちが
当たり前に思っていたことが、文字通り 「有り難い」
ことだと気づかせてくれる。
だが、目の前にある見えない危機は、私たちが
当たり前に思っていたことが、文字通り 「有り難い」
ことだと気づかせてくれる。
この世界に
美しい物語や幸せな結末はおそらくない。
日々新たに起こる予期せぬ出来事、
人間の小さな頭脳が想定すらしない生起に、
その都度冷静に理性的に、辛抱づよく
向き合うしかない。
人間の根本的な悲惨さから目をそらさない。
それはどういうことか。
それはどういうことか。
「人間は一本の葦にすぎない。
自然のうちで最もか弱いもの、しかし
それは考える葦だ。 人間を押しつぶすのに
宇宙全体が武装する必要はない。
ひと吹きの蒸気、 一滴の水だけで人間を
殺すのには十分だ。
しかし宇宙に押しつぶされようとも、 人間は
自分を殺すものよりさらに貴い。
人間は自分が死ぬこと、 宇宙が自分より
優位にあることを知っているのだから。
宇宙はそんなことは何も知らない。」
自然のうちで最もか弱いもの、しかし
それは考える葦だ。 人間を押しつぶすのに
宇宙全体が武装する必要はない。
ひと吹きの蒸気、 一滴の水だけで人間を
殺すのには十分だ。
しかし宇宙に押しつぶされようとも、 人間は
自分を殺すものよりさらに貴い。
人間は自分が死ぬこと、 宇宙が自分より
優位にあることを知っているのだから。
宇宙はそんなことは何も知らない。」
(パスカル『パンセ』二〇〇、塩川徹也訳)
今は静かに、部屋で哲学者の言葉に耳を傾けたい。
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前文を掲載させていただきました。